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2008年07月05日
「ネットで稼ぐ月収10万円講座」管理人の自己紹介(現代編)
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私、「ネットで稼ぐ月収10万円講座」管理人のikusuと申します。

・名前:青木朋将(ハンドル:ikusu)
・1987年(昭和62年)2月19日生まれ
同日生まれ…藤岡弘さん・財津和夫さん・村上龍さんetc
・身長…172cm
・体重…怖くて測っていません。泣
・性別…男
・出身…福岡県
・在住…神奈川県
・職業…大学生
・趣味…読書・音楽鑑賞・ピアノとドラム演奏・ゲーム・バドミントン
・学歴…大卒(予定)
・家族…現在は4人家族の末っ子
私は6人家族の末っ子、
3人兄弟の次男としてこの世に生を受けました。
私の家は農業を営むかたわら
不動産業もしているという兼業農家、
父は農協の職員、母は専業主婦でした。
世間から見れば、
かなり恵まれた生活を送っていました。
そう、”過去形”なんです。
私が5歳の時、
突然の父の死。
享年45歳。
ガンでした。
まだ右も左もわからなかった私は
なぜか涙が出なかったのを覚えています。
いまだによくわかりませんが、
その時の記憶というのがあやふやで
今でも正確には思い出すことができません。
そして、骨肉の争いに巻き込まれていきました。
”遺産相続”です。
相続の際には、
不動産、株、ゴルフ会員権、
ありとあらゆるものが相続の対象になります。
そして税金もかかります。
その最高税率、実に50%。
相続する遺産が2億あれば、
半分の1億は国に持っていかれます。
この相続税というのは、
日本国民の5%しか関係のない税金だそうですが、
早くも5歳で経験してしまった私には
まるでそうは思えませんでした。
もちろん相続対象というのは幅広く、
母だけでなくて、親戚、直系尊属、
その他血族全てに相続の権利があります。
「ここは私の土地!」
「これは俺のもの!」
・・・醜い争いでした。
相続が別名”争続”と揶揄されるのも
なんとなくわかる気がします。
そんな親類の中、
母も一歩も引かずに権利を主張。
当然です。
配偶者である母にも相続の権利はあります。
あれやこれやの騒動の中、
ようやくおさまりがつきました。
結果として
3分の1程度は相続をすることはできました。
ただ、その相続税はゆうに1億を超えていましたので、
土地を売って現物のお金で一括返済。
その年の新聞には
地元の高額納税者の1人として
母の名前が載りました。
なんとも嬉しくもなかったという記憶は
ずいぶんはっきりと覚えています。
そんな5歳の時の体験です。
そして小学生になった私に母は
あらゆる習い事を習わせました。
ピアノ、公文、水泳、英会話、習字・・・
ありがたいと思う反面、
小学生の頃から忙しい思いをしていたのを
覚えています。
そして小学生も高学年になると、
中学受験のために塾に入学。
成績順に毎回席が変わり、
・教室の後ろの席=クラスの中で成績が悪い
・教室の前の席=クラスの中で成績がいい
という競争環境の塾でした。
私は負けず嫌いでしたので、
なんとかして前の席に座ってやろうと。
絶対後ろの席に座って
周りから見下された目で見られたくない!
という思いのもと、受験勉強を続けていきました。
人生初の受験のために。
ちなみに後から出てきますが、
私は受験を中学、高校、大学と
全てこなしてきた稀な人間です。
で、小学4年の頃は成績は悪くビリから数えて早い方でしたが、
5年、6年となると成績は中の上あたりまで伸びました。
そして迎えた中学受験シーズン。
第1志望の中学校は、
地元で1位、2位を争う中学でした。
模試の判定では、
「合格率100%
コメント:勝利の女神は君に微笑んでいるぞ!」
とお墨付きの紙をもらって挑んだ試験。
・・・失敗。
試験が終わった瞬間に
「あぁ・・・これはダメだ・・・」と
うなだれたことをよく覚えています。
せっかく母が用意してくれた
グラタンに手をつけることもなく
ふてくされていました。
結局、滑り止めと考えていた
第2志望の中学に入り、
中学生活がスタートしました。
しかし第2志望とはいえ、
地元では優秀な生徒が揃う環境。
さらに、男子校。
周りを見ても、
男、男、男・・・
男しかいません。泣
男子校の苦労は、
男子校に通った人じゃないと
わからないと思います。汗
あの節操のなさといったら・・・泣
で、中学の間もひたすら勉強に励みました。
家庭教師もつきました。
中高一貫校だったので、
勉強の進むスピードは一般の中学と比べて全く違います。
中学3年の初めの頃には
高校1年レベルの勉強をしていました。
もちろん英語も数学も、
何もかもがハイスピード。
試験前の徹夜は当たり前で、
試験中の1日の睡眠時間は
30分だったのをよく覚えています。
あと、宿題を
夜中2時までかかって終わらすとか。
そんな勉強漬けの毎日。
苦しかったといえば苦しかったですが、
でもその分成績も上がるので、
テストの度に母は喜んでいました。
数学で校内1位を取った時なんかは
相当喜んでいたことを覚えています。
そして迎えた中学3年。
この頃から少し自分自身に
変化が見られるようになりました。
「何のために勉強をしているのだろう?」
今まではただ勉強をしていればいいと考えていたのですが、
この時にふと考えたのです。
このまま勉強して何がしたいのか?
このまま高校にエスカレーター式に上がって、
また勉強して、有名な大学に入り、そして有名企業に就職・・・???
「・・・つまらんな。」
一言で一蹴。
急に勉強をする意味を見失った私の成績は
あれよあれよという間にクラスの下位層に。
そして成績が下がれば下がるほど、
母も心配してきます。
そんな気持ちのまま
中高一貫なのでエスカレーター式に高校に上がっても
ものの見事に親の期待を裏切る成績を取り続けます。
母「どげんかしたとね?」
母「あんた世界史8点やないね!」
・・・はい、8点でした。笑
100点満点中の8点です。
これには周りの友人も
「おい、大丈夫か青木〜」と
茶化されました。
高校になると規則的にも
より男子校の色が濃くなります。
「文武両道を守らざる者来るべからず」
こんなイメージと思ってもらって構いません。
強制的に柔道を習わされるという
意味不明さは今でも覚えています。
そして高校1年の終わりごろになると、
完全に登校拒否。
別に鬱ってわけじゃなかったのですが、
なんとなくこのまま高校に行くのが嫌になり、
ゲームセンターに入り浸っていました。
たまに母に強制的に車で高校に連行されても、
隙を見ては抜け出すこと多数。
で、1日中いないと家に連絡がいくので、
最後の7限目の終わり頃になると
スーッと現れる不思議な人になっていました。
担任「おい、青木、ちょっと来い。」
クラスメイト「くすくすくす・・・」
まぁこんな感じで呼び出されることも
多かったです。苦笑
で、担任と話した中で
以下の部分だけはよく覚えています。
担任:「何で高校に来ない?」
私:「先生は何で高校に勤めているんですか?」
担任:「俺?俺はこれが仕事だからだ。」
私:「仕事だからですか?」
担任:「ああ、そうだ。人間には公私の使い分けがある。
お前はこの高校の規則の厳しさが嫌いだろうが、
俺もあまり好きじゃない。」
ここで垣間見えた”大人”というもの。
高校を好ましくないと思いつつも、
それが仕事、それが公私の公の部分と
教えてくれました。
嫌なことでも、耐えなきゃ生きていけない。
なんともこの世は嫌な世界だと思ったと同時に、
教師も人間であると教えてくれた担任に感謝をしました。
しかし、
それがわかったところでどうなるでしょうか。
何も現状は変わりません。
相も変わらず高校には行かず、
ゲーセンに入り浸っていた私に、
ついに母の堪忍袋が切れました。
「あんたいい加減にしなさいよ!」
今思えばそれは怒ります。
よくわかります。
でもこの頃の私には余裕が無かった。
人のことを思いやる気持ちなんて・・・。
それでこんなことを言ってしまった。
私「あんたは楽だろうさ。
ただ実際勉強をするのは俺だ!
高校でやる全ての勉強は全て俺がやる!
あんな勉強が何の役に立つ?!」
そして言い放った一言。
私「俺はあんたの人形、マリオネットじゃねぇんだよ!」
ここからは毎日が母との喧嘩。
喧嘩といっても口ばかりの喧嘩でしたが、
時には殴られることもありました。
しかし武力から言えば、
絶対私の方が勝っているのはわかっているので、
私の方から何も手は出しませんでした。
でも、思いは交錯。
互いの言い分なんぞ耳にしません。
時には母から包丁を突き出され、
「そんなに私が憎ければ殺せばいい!」
と言われ・・・
違うんだお母さん。
お母さんが憎いんじゃない。
この世の中が憎いだけなんだ。
心でそんなことを思いながらも結局は伝わらず、
最後は親戚までをも巻き込んでしまうことに。
叔父からは
「そんなことなら将来はマシなことはないな!」と言われ・・・。
心理カウンセラーのある人からは
「なぜ親の意見を聞いてあげない?」と説教され・・・。
うわ、今書いてきてみたけど、
本当に理解者は誰もいなかったんだな・・・。苦笑
というかここまで読んでいる人いるのでしょうか?
いたらありがとうございます。
でも、まだ長いですよ?
ここからですから。
そんな高校は結局辞めてしまうのが一番ということで、
私は高校2年になった瞬間に退学届けを出しました。
で、別段高校を変われば
人生も変わると思っていたので、
半年後に定時制の高校を受験しようと決心しました。
でも、その間は受験勉強はせずに、
ひたすら読書、音楽、遊びに没頭。
読書は、
ヘッセ、ゲーテ、夏目漱石、ニーチェ、太宰治、坂口安吾、芥川龍之介。
音楽は、
ビートルズ、ローリングストーンズ、井上陽水、
さだまさし、ザ・イエローモンキーズ、ジュディアンドマリー。
ジャンルなんて関係なしに、
ありとあらゆる文学作品、
ありとあらゆる音楽に触れました。
と同時に、
母から簿記を習わされました。
日商簿記3級ですね。
せめて簡単な決算書ぐらいは読めるようになっとけという
母からのメッセージでしょうか、
とにもかくにも3ヵ月間資格学校にも通いました。
あと、馬鹿みたいにゲーセンでも遊びました。
朝10時から夜11時まで13時間遊びっぱなしの日もよくありました。
他にも小倉競馬場に出向き競馬を知り、
ウインズで馬券を買ったり。
あとはパチンコやパチスロもしていました。
見かけは老けて見られますから、
誰からも注意されなかったですね。
この半年間の経験は
今の私を少なからず形作っている要素があります。
そして迎えた定時制高校の受験。
何も勉強もせずに試験を受け、軽く合格。
中高一貫校の学習量をこなしてきた私にとっては
何の難しいことも無い試験でした。
その高校は大学のようなところで、
自分で時間割を決め、自分で単位を把握。
そして単位さえ満たせれば卒業可能という、
まぁほぼ大学と一緒のようなところでしたね。
で、ある時、
その高校のある人とパチスロ繋がりで友達に。
(※高校でパチスロという突っ込みは無しで。汗)
実は私、パチスロで月10万円ほど毎月勝っていて、
高校生なのに贅沢な暮らしをしていたんですね。笑
パチスロって機械ですから、
ある一定水準から打てば勝てるという法則があるんですよ。
で、そんなパチスロ座談を友人としていると、
さらにその友人はもっと勝っているとのこと。
月30万とか。
額に惹かれた私は、
一緒にノリ打ちをすることで合意しました。
(※ノリ打ちとは、片方が5万円勝利、片方が1万円勝利の場合、
一人当たり3万円というように、勝利・敗戦金額を折半すること)
当時の財布は今考えるとあり得なかったですね。
二人とも財布に常に10万円は
入っていましたので。汗
いつでも打ちに行けるように。
それから高校時代は、
パチスロ一色となりました。
高校には最低限行きつつ、
もっとどうやったら勝てるか?
この新機種はどこがポイントか?
これを毎月各機種の攻略誌の内部使用説明書を見ることで、
知識を仕入れ、実際に勝利していました。
時には10万円1日でなくなることもありましたが、
おおよそ月平均20万円は勝てるようになり、
時給換算は3,000円程度。
なにせ全ての記録はエクセルで管理していましたので、
どの店でどのくらい勝ったとか、
この機種はトータルでこのぐらい勝ったとか、
そういうことはすぐに把握できていました。
もちろん高校の学費はそのパチスロの勝利金で払い、
さらに一人暮らしも始めていたので、
家賃も食事代も全てパチスロでまかなっていました。
いわば、家計=パチスロという
一見かなり危ない構図。苦笑
でもそれでも勝てていましたので、
買ったお金で友人達と居酒屋にもバンバン行っていました。
伊勢海老の刺身にヤリイカの刺身。
まぁ横のサラリーマンの方とかに
「なんだこいつら・・・」と睨まれていたのを
よく覚えています。
しかし、時間が経つにつれ
徐々に大学受験のことが騒がれてきました。
高校3年にもなると、
進路相談とか色々させられましたね。
その時に言われたのが、
「今やりたいことが将来的に仕事になる!」
ということ。
で、あまりにも激しく断言するので、皮肉屋だった私は一言、
「じゃあ先生は高校の時から教師になりたかったんですか?」
その先生は答えに詰まっていました。
もちろん睨まれましたが。汗
そんなこんなで特に私はやりたいことは
パチスロ以外なかったので、
ほどほどの大学を目指すことに。
わかる人にはわかる、
MARCHと呼ばれる大学群の中の1つです。
福岡にはいい私立大学がなかったので、
県外に出るしかありませんでした。
得意教科が英語と数学しかないのであれば、
やはり私立大学になってしまいます。
(古文とか宇宙言葉ですね、無理です。)
また、一応バドミントン部にも入っていましたので、
ほどほどに部活にも出ていました。
あくまで運動不足解消程度に。
そんな中後輩も入ってきて、
なぜか先輩面をしないといけないことに。
私先輩面とか大嫌いなんですよね。
1,2歳しか変わらないのに
何偉そうにしてんだよ?
会社なら当然だけど、ここ高校だぞ?
というひねくれ屋さんなので、
まぁ先輩、後輩関わらず、
フレンドリーに接していましたよ。
そんな最中、
1人の後輩から逆告白。
「付き合って下さい」と。
その年、15歳。
その時私、18歳。
…犯罪じゃ?
と思いつつも、
告白された時ははぐらかし、
1週間後に「付き合おう」と承諾。
なぜ1週間後だったのかは、
本当に付き合っていいのかどうか?
これを悩んだから。
はっきり言って、
これから大学受験もあるし、
当然パチスロにも通う。
(パチスロが飯のタネ。)
そんな中、
遊ぶ時間なんてあるかなーと。
そこだけが心配だったのですが、
結論は、なければ作ればいい。
ここに行きつきました。
これは今のネットビジネスにも
繋がることがあります。
無ければ作ればいい。
時間も商材も。
で、パチスロの時間は徐々に減らしつつ、
受験勉強に徐々に力を入れていきました。
河○塾というところにも通うようになり、
中学以来の勉強漬けの毎日を送っていました。
また、この頃には母と仲直りしていたので、
ようやく笑って談話ができるようになったことが
嬉しかったのを覚えています。
同時に彼女とのデートもかかさず、
なぜか高校の時にもうスケジュール帳を持つ始末。汗
そんな生活を続けて迎えた大学受験。
とにかく色々な大学を受けました。
数えてみたら13校受けていましたね。
17日:入試
19日:入試
20日:入試
なんて4日間のうち3日間が試験の日という
ハードスケジュールにも負けずに
こなしていきました。
ちなみに言っておくと、
最後の20日の試験は慶応大学の試験。
(私立の中でも全国トップクラスの大学です。)
正直、慶応レベルの大学を目指して
勉強をしていませんでしたので、
ものすごく難しかったです。汗
あれやこれやと試験をこなし、
なんとか狙っていた第一志望には合格。
試験の終わった瞬間に出応えがあったので
自信はありました。
ありますよね?
終わった瞬間の手ごたえって。
しかしこれで1つ問題が起こります。
それは、彼女と遠距離恋愛になること。
なにせ大学の場所は関東、
彼女の場所は福岡。
遠距離確定の瞬間です。
確かこんな話し合いをしたのを覚えています。
彼女「遠距離なんて無理・・・。」
私「うーん・・・じゃあ2週間に1度帰ってくるからさ?」
彼女「え?そんなん嫌だ。申し訳ない。」
私「だって・・・会いたいでしょ?お互いに。」
彼女「・・・うん。」
私「じゃあ決まり。ちゃんと帰ってくるからさ。
あと専用の電話も持とうか。通話料低額のやつ。Love定額だっけ?」
そんなことで遠距離恋愛決定。
で、実際に別れるまで
2週間に1度、羽田から福岡まで毎月帰っていました。
気がつけばマイルが5万も貯まっているという・・・。笑
もちろんお金は自費です。
パチスロの貯金とかありましたので。汗
ただ今はもうその彼女と付き合ってはいません。
その彼女と別れたのは、
付き合って3年半後ぐらい。
彼女自身にやりたいことが見つかって、
それに没頭したいから、
今は人のことを思いやる気持ちが無い、
というのは理由でした。
すごい悲しかったのは覚えていますが、
そこで引き留めても彼女の今後のためにならない・・・。
嫌な思いを振り切って、
「うん、がんばれよ、でも、絶対に!達成してくれ!」
とだけ言って、別れました。
それ以来、連絡を取ることもありません。
会者定離の世の中ですね。
※会者定離(えしゃじょうり)
仏教用語。四字熟語。
会った者は必ず別れる運命にあるということ。
世の中の無常なことを表わす語。
(はてなキーワードより)
で話は戻って、
大学に入って最初にやらされたこと。
それが、TOEFLという英語の試験。
しかも入学式前にやらされるという・・・。
「え?大学ってそんなにガリ勉するところなの?!」
と衝撃を受けたのを覚えています。
この頃になっても相変わらず
パチスロで稼いでいたのですが、
徐々に雲行きが怪しくなってきました。
パチスロ行政改革です。
簡単に言うと、
「パチスロは射幸心を煽るから、もっと遊べるものにしよう」
というもの。
しかし勝っている身からすれば余計なお世話で、
要は出玉が少なくなって勝ちにくくなるということ。
「絶対この先パチスロは冬の時代が来るな・・・。」
と考えた私は、
新たに収入を得る手段を模索し始めました。
なにせ高校の時からパチスロとはいえ自分の力で稼いできたので、
自分で稼いでいない状況など考えられませんでした。
もちろんバイトという選択肢もあったのですが、
雇用されて働く身にはなりたくない。
そういう思いがあったので、
全て自己責任で稼げるものを探していました。
ちょうど高校の時に知り合った友人もそうで、
ある時友人に話を聞いてみました。
私「なぁ、パチスロ厳しいよなもう。」
友人「おれネットで稼いでいるよ、2,3万だけど。」
私「は?ネット?なにそれ?」
友人「ああ、アフィリエイトって言うんだけど・・・。」
ここで始めてネットビジネスを知りました。
2007年の3月のことでした。
ただ、最初から友人の苦労話は聞いていたので、
まぁ簡単に稼げるものではないなと。
でも、そういうものほど、
私燃えるんです。
チャレンジ精神というか、
そんなものです。
私「俺もやる。」
ここがスタートでした。
思えば幼い頃から
お金のかかる生き方をしてきたものです。
習い事しかり、塾しかり。
そしてここまでしてくれたのも
母のおかげです。
今では感謝しきれてしきれません。
「ありがとう。」
私はこの、ありがとう、
つまり感謝が一番大事だと思っています。
人には同じ人生など存在しない。
生きてきた背景ももちろん違う。
時代、音楽、文化。
全て違います。
でも、それでも変わっていないのは、
人は一人では生きていけない。
それを今までに多くの方と知り合うなかで知り、
別れることで知ってきました。
それは本からも学んだし、
音楽からも学びました。
私はですね、
ネットビジネスというものもあくまで人生の一部だと思っています。
ネットビジネスあっての人生ではなくて、
人生あってのネットビジネス。
ただお金を稼ぐんじゃなくて、
いかにそこに人間の感謝の念が含まれているか、
ここが大事だと考えて、今このブログとメルマガをしています。
またブログアフィリエイトから始めたネットビジネスも、
PPCアフィリエイト、アドセンス、情報起業、携帯、ステップメール、メルマガ、
色々と取り組んできました。
どれもそれなりに苦労することがありますし、
ENTER押したらお金が降ってくるなんてありません。
でも、だからこそ楽しい!
そう思ってネットビジネスに取り組んでいます。
お金は大事です。
稼がなくてはなりません。
私が高校に1人暮らしができたのも、
2週間に1度福岡に飛行機で帰っているのも、
全てお金がかかります。
生きていくためには間違いなく必要です。
お金は必要です。
日本にはなぜかお金を稼ぐと
悪いことをしているという意識があります。
かの村上ファンドの代表の村上氏の言葉。
「金儲け、悪いことですか?」
悪くないです、全然。
ただ彼の場合は法律に抵触していたらから
問題があった。それだけです。
お金儲け、多いにしようじゃありませんか。
その上でどう使おうと、それは各個人の自由です。
ネットビジネスには可能性があります。
でもその可能性も行動しなければ
何も生みません。
今からやりますか?
それとも1年後ですか?
ぜひ今からやりましょう。
人生を変えるために。
最後までお読み頂き、
本当にありがとうございました。
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・名前:青木朋将(ハンドル:ikusu)
・1987年(昭和62年)2月19日生まれ
同日生まれ…藤岡弘さん・財津和夫さん・村上龍さんetc
・身長…172cm
・体重…怖くて測っていません。泣
・性別…男
・出身…福岡県
・在住…神奈川県
・職業…大学生
・趣味…読書・音楽鑑賞・ピアノとドラム演奏・ゲーム・バドミントン
・学歴…大卒(予定)
・家族…現在は4人家族の末っ子
私は6人家族の末っ子、
3人兄弟の次男としてこの世に生を受けました。
私の家は農業を営むかたわら
不動産業もしているという兼業農家、
父は農協の職員、母は専業主婦でした。
世間から見れば、
かなり恵まれた生活を送っていました。
そう、”過去形”なんです。
私が5歳の時、
突然の父の死。
享年45歳。
ガンでした。
まだ右も左もわからなかった私は
なぜか涙が出なかったのを覚えています。
いまだによくわかりませんが、
その時の記憶というのがあやふやで
今でも正確には思い出すことができません。
そして、骨肉の争いに巻き込まれていきました。
”遺産相続”です。
相続の際には、
不動産、株、ゴルフ会員権、
ありとあらゆるものが相続の対象になります。
そして税金もかかります。
その最高税率、実に50%。
相続する遺産が2億あれば、
半分の1億は国に持っていかれます。
この相続税というのは、
日本国民の5%しか関係のない税金だそうですが、
早くも5歳で経験してしまった私には
まるでそうは思えませんでした。
もちろん相続対象というのは幅広く、
母だけでなくて、親戚、直系尊属、
その他血族全てに相続の権利があります。
「ここは私の土地!」
「これは俺のもの!」
・・・醜い争いでした。
相続が別名”争続”と揶揄されるのも
なんとなくわかる気がします。
そんな親類の中、
母も一歩も引かずに権利を主張。
当然です。
配偶者である母にも相続の権利はあります。
あれやこれやの騒動の中、
ようやくおさまりがつきました。
結果として
3分の1程度は相続をすることはできました。
ただ、その相続税はゆうに1億を超えていましたので、
土地を売って現物のお金で一括返済。
その年の新聞には
地元の高額納税者の1人として
母の名前が載りました。
なんとも嬉しくもなかったという記憶は
ずいぶんはっきりと覚えています。
そんな5歳の時の体験です。
そして小学生になった私に母は
あらゆる習い事を習わせました。
ピアノ、公文、水泳、英会話、習字・・・
ありがたいと思う反面、
小学生の頃から忙しい思いをしていたのを
覚えています。
そして小学生も高学年になると、
中学受験のために塾に入学。
成績順に毎回席が変わり、
・教室の後ろの席=クラスの中で成績が悪い
・教室の前の席=クラスの中で成績がいい
という競争環境の塾でした。
私は負けず嫌いでしたので、
なんとかして前の席に座ってやろうと。
絶対後ろの席に座って
周りから見下された目で見られたくない!
という思いのもと、受験勉強を続けていきました。
人生初の受験のために。
ちなみに後から出てきますが、
私は受験を中学、高校、大学と
全てこなしてきた稀な人間です。
で、小学4年の頃は成績は悪くビリから数えて早い方でしたが、
5年、6年となると成績は中の上あたりまで伸びました。
そして迎えた中学受験シーズン。
第1志望の中学校は、
地元で1位、2位を争う中学でした。
模試の判定では、
「合格率100%
コメント:勝利の女神は君に微笑んでいるぞ!」
とお墨付きの紙をもらって挑んだ試験。
・・・失敗。
試験が終わった瞬間に
「あぁ・・・これはダメだ・・・」と
うなだれたことをよく覚えています。
せっかく母が用意してくれた
グラタンに手をつけることもなく
ふてくされていました。
結局、滑り止めと考えていた
第2志望の中学に入り、
中学生活がスタートしました。
しかし第2志望とはいえ、
地元では優秀な生徒が揃う環境。
さらに、男子校。
周りを見ても、
男、男、男・・・
男しかいません。泣
男子校の苦労は、
男子校に通った人じゃないと
わからないと思います。汗
あの節操のなさといったら・・・泣
で、中学の間もひたすら勉強に励みました。
家庭教師もつきました。
中高一貫校だったので、
勉強の進むスピードは一般の中学と比べて全く違います。
中学3年の初めの頃には
高校1年レベルの勉強をしていました。
もちろん英語も数学も、
何もかもがハイスピード。
試験前の徹夜は当たり前で、
試験中の1日の睡眠時間は
30分だったのをよく覚えています。
あと、宿題を
夜中2時までかかって終わらすとか。
そんな勉強漬けの毎日。
苦しかったといえば苦しかったですが、
でもその分成績も上がるので、
テストの度に母は喜んでいました。
数学で校内1位を取った時なんかは
相当喜んでいたことを覚えています。
そして迎えた中学3年。
この頃から少し自分自身に
変化が見られるようになりました。
「何のために勉強をしているのだろう?」
今まではただ勉強をしていればいいと考えていたのですが、
この時にふと考えたのです。
このまま勉強して何がしたいのか?
このまま高校にエスカレーター式に上がって、
また勉強して、有名な大学に入り、そして有名企業に就職・・・???
「・・・つまらんな。」
一言で一蹴。
急に勉強をする意味を見失った私の成績は
あれよあれよという間にクラスの下位層に。
そして成績が下がれば下がるほど、
母も心配してきます。
そんな気持ちのまま
中高一貫なのでエスカレーター式に高校に上がっても
ものの見事に親の期待を裏切る成績を取り続けます。
母「どげんかしたとね?」
母「あんた世界史8点やないね!」
・・・はい、8点でした。笑
100点満点中の8点です。
これには周りの友人も
「おい、大丈夫か青木〜」と
茶化されました。
高校になると規則的にも
より男子校の色が濃くなります。
「文武両道を守らざる者来るべからず」
こんなイメージと思ってもらって構いません。
強制的に柔道を習わされるという
意味不明さは今でも覚えています。
そして高校1年の終わりごろになると、
完全に登校拒否。
別に鬱ってわけじゃなかったのですが、
なんとなくこのまま高校に行くのが嫌になり、
ゲームセンターに入り浸っていました。
たまに母に強制的に車で高校に連行されても、
隙を見ては抜け出すこと多数。
で、1日中いないと家に連絡がいくので、
最後の7限目の終わり頃になると
スーッと現れる不思議な人になっていました。
担任「おい、青木、ちょっと来い。」
クラスメイト「くすくすくす・・・」
まぁこんな感じで呼び出されることも
多かったです。苦笑
で、担任と話した中で
以下の部分だけはよく覚えています。
担任:「何で高校に来ない?」
私:「先生は何で高校に勤めているんですか?」
担任:「俺?俺はこれが仕事だからだ。」
私:「仕事だからですか?」
担任:「ああ、そうだ。人間には公私の使い分けがある。
お前はこの高校の規則の厳しさが嫌いだろうが、
俺もあまり好きじゃない。」
ここで垣間見えた”大人”というもの。
高校を好ましくないと思いつつも、
それが仕事、それが公私の公の部分と
教えてくれました。
嫌なことでも、耐えなきゃ生きていけない。
なんともこの世は嫌な世界だと思ったと同時に、
教師も人間であると教えてくれた担任に感謝をしました。
しかし、
それがわかったところでどうなるでしょうか。
何も現状は変わりません。
相も変わらず高校には行かず、
ゲーセンに入り浸っていた私に、
ついに母の堪忍袋が切れました。
「あんたいい加減にしなさいよ!」
今思えばそれは怒ります。
よくわかります。
でもこの頃の私には余裕が無かった。
人のことを思いやる気持ちなんて・・・。
それでこんなことを言ってしまった。
私「あんたは楽だろうさ。
ただ実際勉強をするのは俺だ!
高校でやる全ての勉強は全て俺がやる!
あんな勉強が何の役に立つ?!」
そして言い放った一言。
私「俺はあんたの人形、マリオネットじゃねぇんだよ!」
ここからは毎日が母との喧嘩。
喧嘩といっても口ばかりの喧嘩でしたが、
時には殴られることもありました。
しかし武力から言えば、
絶対私の方が勝っているのはわかっているので、
私の方から何も手は出しませんでした。
でも、思いは交錯。
互いの言い分なんぞ耳にしません。
時には母から包丁を突き出され、
「そんなに私が憎ければ殺せばいい!」
と言われ・・・
違うんだお母さん。
お母さんが憎いんじゃない。
この世の中が憎いだけなんだ。
心でそんなことを思いながらも結局は伝わらず、
最後は親戚までをも巻き込んでしまうことに。
叔父からは
「そんなことなら将来はマシなことはないな!」と言われ・・・。
心理カウンセラーのある人からは
「なぜ親の意見を聞いてあげない?」と説教され・・・。
うわ、今書いてきてみたけど、
本当に理解者は誰もいなかったんだな・・・。苦笑
というかここまで読んでいる人いるのでしょうか?
いたらありがとうございます。
でも、まだ長いですよ?
ここからですから。
そんな高校は結局辞めてしまうのが一番ということで、
私は高校2年になった瞬間に退学届けを出しました。
で、別段高校を変われば
人生も変わると思っていたので、
半年後に定時制の高校を受験しようと決心しました。
でも、その間は受験勉強はせずに、
ひたすら読書、音楽、遊びに没頭。
読書は、
ヘッセ、ゲーテ、夏目漱石、ニーチェ、太宰治、坂口安吾、芥川龍之介。
音楽は、
ビートルズ、ローリングストーンズ、井上陽水、
さだまさし、ザ・イエローモンキーズ、ジュディアンドマリー。
ジャンルなんて関係なしに、
ありとあらゆる文学作品、
ありとあらゆる音楽に触れました。
と同時に、
母から簿記を習わされました。
日商簿記3級ですね。
せめて簡単な決算書ぐらいは読めるようになっとけという
母からのメッセージでしょうか、
とにもかくにも3ヵ月間資格学校にも通いました。
あと、馬鹿みたいにゲーセンでも遊びました。
朝10時から夜11時まで13時間遊びっぱなしの日もよくありました。
他にも小倉競馬場に出向き競馬を知り、
ウインズで馬券を買ったり。
あとはパチンコやパチスロもしていました。
見かけは老けて見られますから、
誰からも注意されなかったですね。
この半年間の経験は
今の私を少なからず形作っている要素があります。
そして迎えた定時制高校の受験。
何も勉強もせずに試験を受け、軽く合格。
中高一貫校の学習量をこなしてきた私にとっては
何の難しいことも無い試験でした。
その高校は大学のようなところで、
自分で時間割を決め、自分で単位を把握。
そして単位さえ満たせれば卒業可能という、
まぁほぼ大学と一緒のようなところでしたね。
で、ある時、
その高校のある人とパチスロ繋がりで友達に。
(※高校でパチスロという突っ込みは無しで。汗)
実は私、パチスロで月10万円ほど毎月勝っていて、
高校生なのに贅沢な暮らしをしていたんですね。笑
パチスロって機械ですから、
ある一定水準から打てば勝てるという法則があるんですよ。
で、そんなパチスロ座談を友人としていると、
さらにその友人はもっと勝っているとのこと。
月30万とか。
額に惹かれた私は、
一緒にノリ打ちをすることで合意しました。
(※ノリ打ちとは、片方が5万円勝利、片方が1万円勝利の場合、
一人当たり3万円というように、勝利・敗戦金額を折半すること)
当時の財布は今考えるとあり得なかったですね。
二人とも財布に常に10万円は
入っていましたので。汗
いつでも打ちに行けるように。
それから高校時代は、
パチスロ一色となりました。
高校には最低限行きつつ、
もっとどうやったら勝てるか?
この新機種はどこがポイントか?
これを毎月各機種の攻略誌の内部使用説明書を見ることで、
知識を仕入れ、実際に勝利していました。
時には10万円1日でなくなることもありましたが、
おおよそ月平均20万円は勝てるようになり、
時給換算は3,000円程度。
なにせ全ての記録はエクセルで管理していましたので、
どの店でどのくらい勝ったとか、
この機種はトータルでこのぐらい勝ったとか、
そういうことはすぐに把握できていました。
もちろん高校の学費はそのパチスロの勝利金で払い、
さらに一人暮らしも始めていたので、
家賃も食事代も全てパチスロでまかなっていました。
いわば、家計=パチスロという
一見かなり危ない構図。苦笑
でもそれでも勝てていましたので、
買ったお金で友人達と居酒屋にもバンバン行っていました。
伊勢海老の刺身にヤリイカの刺身。
まぁ横のサラリーマンの方とかに
「なんだこいつら・・・」と睨まれていたのを
よく覚えています。
しかし、時間が経つにつれ
徐々に大学受験のことが騒がれてきました。
高校3年にもなると、
進路相談とか色々させられましたね。
その時に言われたのが、
「今やりたいことが将来的に仕事になる!」
ということ。
で、あまりにも激しく断言するので、皮肉屋だった私は一言、
「じゃあ先生は高校の時から教師になりたかったんですか?」
その先生は答えに詰まっていました。
もちろん睨まれましたが。汗
そんなこんなで特に私はやりたいことは
パチスロ以外なかったので、
ほどほどの大学を目指すことに。
わかる人にはわかる、
MARCHと呼ばれる大学群の中の1つです。
福岡にはいい私立大学がなかったので、
県外に出るしかありませんでした。
得意教科が英語と数学しかないのであれば、
やはり私立大学になってしまいます。
(古文とか宇宙言葉ですね、無理です。)
また、一応バドミントン部にも入っていましたので、
ほどほどに部活にも出ていました。
あくまで運動不足解消程度に。
そんな中後輩も入ってきて、
なぜか先輩面をしないといけないことに。
私先輩面とか大嫌いなんですよね。
1,2歳しか変わらないのに
何偉そうにしてんだよ?
会社なら当然だけど、ここ高校だぞ?
というひねくれ屋さんなので、
まぁ先輩、後輩関わらず、
フレンドリーに接していましたよ。
そんな最中、
1人の後輩から逆告白。
「付き合って下さい」と。
その年、15歳。
その時私、18歳。
…犯罪じゃ?
と思いつつも、
告白された時ははぐらかし、
1週間後に「付き合おう」と承諾。
なぜ1週間後だったのかは、
本当に付き合っていいのかどうか?
これを悩んだから。
はっきり言って、
これから大学受験もあるし、
当然パチスロにも通う。
(パチスロが飯のタネ。)
そんな中、
遊ぶ時間なんてあるかなーと。
そこだけが心配だったのですが、
結論は、なければ作ればいい。
ここに行きつきました。
これは今のネットビジネスにも
繋がることがあります。
無ければ作ればいい。
時間も商材も。
で、パチスロの時間は徐々に減らしつつ、
受験勉強に徐々に力を入れていきました。
河○塾というところにも通うようになり、
中学以来の勉強漬けの毎日を送っていました。
また、この頃には母と仲直りしていたので、
ようやく笑って談話ができるようになったことが
嬉しかったのを覚えています。
同時に彼女とのデートもかかさず、
なぜか高校の時にもうスケジュール帳を持つ始末。汗
そんな生活を続けて迎えた大学受験。
とにかく色々な大学を受けました。
数えてみたら13校受けていましたね。
17日:入試
19日:入試
20日:入試
なんて4日間のうち3日間が試験の日という
ハードスケジュールにも負けずに
こなしていきました。
ちなみに言っておくと、
最後の20日の試験は慶応大学の試験。
(私立の中でも全国トップクラスの大学です。)
正直、慶応レベルの大学を目指して
勉強をしていませんでしたので、
ものすごく難しかったです。汗
あれやこれやと試験をこなし、
なんとか狙っていた第一志望には合格。
試験の終わった瞬間に出応えがあったので
自信はありました。
ありますよね?
終わった瞬間の手ごたえって。
しかしこれで1つ問題が起こります。
それは、彼女と遠距離恋愛になること。
なにせ大学の場所は関東、
彼女の場所は福岡。
遠距離確定の瞬間です。
確かこんな話し合いをしたのを覚えています。
彼女「遠距離なんて無理・・・。」
私「うーん・・・じゃあ2週間に1度帰ってくるからさ?」
彼女「え?そんなん嫌だ。申し訳ない。」
私「だって・・・会いたいでしょ?お互いに。」
彼女「・・・うん。」
私「じゃあ決まり。ちゃんと帰ってくるからさ。
あと専用の電話も持とうか。通話料低額のやつ。Love定額だっけ?」
そんなことで遠距離恋愛決定。
で、実際に別れるまで
2週間に1度、羽田から福岡まで毎月帰っていました。
気がつけばマイルが5万も貯まっているという・・・。笑
もちろんお金は自費です。
パチスロの貯金とかありましたので。汗
ただ今はもうその彼女と付き合ってはいません。
その彼女と別れたのは、
付き合って3年半後ぐらい。
彼女自身にやりたいことが見つかって、
それに没頭したいから、
今は人のことを思いやる気持ちが無い、
というのは理由でした。
すごい悲しかったのは覚えていますが、
そこで引き留めても彼女の今後のためにならない・・・。
嫌な思いを振り切って、
「うん、がんばれよ、でも、絶対に!達成してくれ!」
とだけ言って、別れました。
それ以来、連絡を取ることもありません。
会者定離の世の中ですね。
※会者定離(えしゃじょうり)
仏教用語。四字熟語。
会った者は必ず別れる運命にあるということ。
世の中の無常なことを表わす語。
(はてなキーワードより)
で話は戻って、
大学に入って最初にやらされたこと。
それが、TOEFLという英語の試験。
しかも入学式前にやらされるという・・・。
「え?大学ってそんなにガリ勉するところなの?!」
と衝撃を受けたのを覚えています。
この頃になっても相変わらず
パチスロで稼いでいたのですが、
徐々に雲行きが怪しくなってきました。
パチスロ行政改革です。
簡単に言うと、
「パチスロは射幸心を煽るから、もっと遊べるものにしよう」
というもの。
しかし勝っている身からすれば余計なお世話で、
要は出玉が少なくなって勝ちにくくなるということ。
「絶対この先パチスロは冬の時代が来るな・・・。」
と考えた私は、
新たに収入を得る手段を模索し始めました。
なにせ高校の時からパチスロとはいえ自分の力で稼いできたので、
自分で稼いでいない状況など考えられませんでした。
もちろんバイトという選択肢もあったのですが、
雇用されて働く身にはなりたくない。
そういう思いがあったので、
全て自己責任で稼げるものを探していました。
ちょうど高校の時に知り合った友人もそうで、
ある時友人に話を聞いてみました。
私「なぁ、パチスロ厳しいよなもう。」
友人「おれネットで稼いでいるよ、2,3万だけど。」
私「は?ネット?なにそれ?」
友人「ああ、アフィリエイトって言うんだけど・・・。」
ここで始めてネットビジネスを知りました。
2007年の3月のことでした。
ただ、最初から友人の苦労話は聞いていたので、
まぁ簡単に稼げるものではないなと。
でも、そういうものほど、
私燃えるんです。
チャレンジ精神というか、
そんなものです。
私「俺もやる。」
ここがスタートでした。
思えば幼い頃から
お金のかかる生き方をしてきたものです。
習い事しかり、塾しかり。
そしてここまでしてくれたのも
母のおかげです。
今では感謝しきれてしきれません。
「ありがとう。」
私はこの、ありがとう、
つまり感謝が一番大事だと思っています。
人には同じ人生など存在しない。
生きてきた背景ももちろん違う。
時代、音楽、文化。
全て違います。
でも、それでも変わっていないのは、
人は一人では生きていけない。
それを今までに多くの方と知り合うなかで知り、
別れることで知ってきました。
それは本からも学んだし、
音楽からも学びました。
私はですね、
ネットビジネスというものもあくまで人生の一部だと思っています。
ネットビジネスあっての人生ではなくて、
人生あってのネットビジネス。
ただお金を稼ぐんじゃなくて、
いかにそこに人間の感謝の念が含まれているか、
ここが大事だと考えて、今このブログとメルマガをしています。
またブログアフィリエイトから始めたネットビジネスも、
PPCアフィリエイト、アドセンス、情報起業、携帯、ステップメール、メルマガ、
色々と取り組んできました。
どれもそれなりに苦労することがありますし、
ENTER押したらお金が降ってくるなんてありません。
でも、だからこそ楽しい!
そう思ってネットビジネスに取り組んでいます。
お金は大事です。
稼がなくてはなりません。
私が高校に1人暮らしができたのも、
2週間に1度福岡に飛行機で帰っているのも、
全てお金がかかります。
生きていくためには間違いなく必要です。
お金は必要です。
日本にはなぜかお金を稼ぐと
悪いことをしているという意識があります。
かの村上ファンドの代表の村上氏の言葉。
「金儲け、悪いことですか?」
悪くないです、全然。
ただ彼の場合は法律に抵触していたらから
問題があった。それだけです。
お金儲け、多いにしようじゃありませんか。
その上でどう使おうと、それは各個人の自由です。
ネットビジネスには可能性があります。
でもその可能性も行動しなければ
何も生みません。
今からやりますか?
それとも1年後ですか?
ぜひ今からやりましょう。
人生を変えるために。
最後までお読み頂き、
本当にありがとうございました。
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